昭和41年06月20日 朝の御理解
そうではなくても心が滅入りそうになりますのが、こういう梅雨時です。ですからお互いに、いよいよ信心にならして頂きませんと、一人のちょっとした不注意が、いよいよ心を暗くしたりイライラさせたりするもんです。ですからお互いがこころして何事にも実意をもって、おかげを頂いていかなければならない。昨日、美登里会の方達の御祈念報酬が日曜度にございますが、その時に頂きました御理解の中に、あそこではあの、霊神様の前にお花が生けてございますですね。
あれはあの変わった花です、( ? )とは。山椒の花入れておられます、青いあの山椒の葉です。それには根元によど菊ですか、が、根締めにしてあります。あれを頂いてから、昨日の、その御理解を頂いたんですけれども、山椒というのは、言わば「山椒」と山(やま)の椒(よし)と書いてある、ね。あの山ですから、やはりこれは修行ということだと思うんです、ね。あれにはここ、とげがありますもん、じがじがするような、まぁ修行ですね。梅
雨の日ともなりますと、どうしても外には出られもせず、もう家にばっかり引きこもっとかんならん。もう何もかにもがもうじめじめしておる。もう思いがけないところに思いがけないカビが生えたり致しましてね、もう本当にあの憂鬱になります。それがそのお互いのちょっとしたその信心、ちょっとした心の使い方でです、またその梅雨もひとつの趣のあるものとしてですね、おかげとしてそれを頂けれるような、おかげを頂くために、おかげ頂かなんなりません。
だから私、そう言う様なおかげ頂くためには、どう言う様なあり方に、信心にならせて頂いたらよいだろうかと思うて、今朝からそのことを思ったんです、したらご心眼にお豆腐を頂くんですよ。どういうことだと思うですか皆さん。お豆腐の硬いっちゃあありませんもんね、やっぱりやわらかい。豆腐ばっかりはやっぱりその、几帳面ですよ、きちっとまぁ真四角ですよね。あのひし形やらまん丸としたのは見た事ないです。やはりあの、お豆腐のような信心が必要だということだ。
私ただ今初めに申しましたように、ね、ではなくても憂鬱である、ではなくても何とうなしにうっとうしい気分の時にです、たった一人の不注意がもう家中を余計に暗くしたりイライラしたりする様な事にしてはです、折角のこうした梅雨をね、趣のあるものにする事が出来ん。本当に毎日毎日降ってから困ると言う事にならなきゃならん。そこには「天地に対して無礼致し」と言う様な事になるのですから、天地が下さるもの天地のお恵みとしてそこんところを頂かして頂く為に、一つおかげを頂かにゃおられません。
どうぞ皆さん、豆腐のような信心。とくに心を軟らかく、そしてひとつ几帳面にならなきゃいけません。ろくそうな人あります、ね。ひとつとりわけ、ね、例えばもうすること言う事の中にもです、几帳面な。家の中であって几帳面な生き方、几帳面なもう、雨が降りよるけんでもう、寝巻きどん着たまま、ひっくり返ってからとんまめどんこうとく、ちゅうごたるふうなこっじゃいかん、ね。やっぱりそういう時にはそういう時ほどです、ね。几帳面な、ね、
私は自分の身の回りでもです、のことから几帳面な生き方、例えば日頃整頓されてないところがきちっと整頓されてあるとか、ね、何とうなしにすっきりとしてお掃除ができておるとか、と言う様にです、何とうなしにそこに豆腐のような几帳面な、しかもそれで、和らいだ心をもっておかげを頂きましたらです、言わばじがじがのような、するような場合でも、それではなくてもうっとうしいと言う様な時でもです、心の中に何とはなしにさばさばとした、すきっとしたおかげが頂かれる。
それがちょうど山椒に、よど菊の根締めのようなです、修行とその信心とがマッチしたというか、調和のとれた日々でおかげを頂けれるようになる。うっとうしいはずの梅雨もまた、ひとつの趣を感じれれるようなおかげを頂けれると私は思うです。どうぞ几帳面な、ね、それでいて柔らかい、豆腐のような、ひとつそれはいつでもですけれども、とりわけこういう、うっとうしいような時にはです、そういう信心に心向けさして頂かなければならんと思うですね。
どうぞ。